世界史の著名人はたびたび日本でお亡くなりになっています。
青森のキリスト、和歌山の徐福、石川のモーゼ・・・
まじめにお聞きなさい
海辺の住宅地にひょっこり看板が出てますね。グーグルマップの陰謀で裏口から入りましたがちゃんと表行ったら駐車場あります。
東京よりも韓国が近いこの辺りの地域では昔から大陸の人が流れつく事が多々あり、ごく一部ですがチングー(友達)、チョンガー(独身)など韓国語源の方言が残ってたりします。
楊貴妃もその流れでここ長門市に流れ着き亡くなったと伝えられます。
楊貴妃は中国、唐の皇帝”玄宗”の妃。あまりの美貌に入れ込んだ玄宗が楊一族を高官に取り立て、その様を不服に思っていた節度使(地方の軍隊の司令官)、安禄山が反乱を起こします。
反乱の最中、間接的にも戦争の原因になった楊貴妃の死刑を望む声に逆らいきれず玄宗は楊貴妃に絞首刑を言い渡します。ただこちらの刑が実際に執行されたのかは歴史的に謎。
後日墓を掘り返した際には確かに遺体はあったものの楊貴妃本人かは確認取れず侍女が身代わりになったという説もあります。
そんな中で実は生き永らえた楊貴妃が命からがら船で唐を脱し、ここ長門に流れ着いた・・と、ここ二尊院に言い伝えられます。
こうも大々的に楊貴妃の墓!って書かれちゃうと信じるしかありませんね。ね?
もともとは玄宗の息子の妃だった楊貴妃。傾国の悪女という話もありますけど間抜けな皇帝の責任を押し付けられた悲劇のヒロイン・・という見方も出来なくはないですね。
ちなみに反乱起こした安禄山も妾の子供を跡継ぎにしようとした結果、実の息子に殺されたそうです。お前も変わらんやんかい。
さてこれが楊貴妃のお墓。
真ん中の五輪塔が楊貴妃、両側は侍女の墓。周りの石は地元の村人が集めて奉納したものだそうです。何とも手厚く葬られていますね。今まで見た著名人の墓の中で一番まともな作りになっているのは気のせいでしょうか。
■キリストの墓
気のせいじゃありませんでした。
今や楊貴妃は日本で神様となって、安産祈願・縁結び、水子供養などの御利益を授けてくださいます。(棒)
さてグーグルの陰謀で裏口から入りましたが、二尊院の表口には境内に隣接して楊貴妃の里という唐の都 長安をイメージした広場があります。
実に中国っぽい。
トイレも中国っぽい。
唐って今から1300年ほど前の時代ですけどこの頃から中国らしさって変わってないんだなって思う。日本ぽさは・・神社の鳥居だな。
高さは約3.8m。中国の陝西省馬嵬坡という場所にも同じ像が立っています。頭には牡丹の花。中国の国花で美人の代名詞ともいわれます。
憂いを浮かべた表情で佇んでいると思ってましたがよく見たら観音菩薩のような優しい表情をしていました。
日本に流れ着いて亡くなった後、玄宗の枕元に立ち日本にいるという事を告げたという楊貴妃。追善供養(ついぜんくよう:既死者への供養)のために玄宗は秘仏とされる釈迦如来像と阿弥陀如来像の二尊を日本へ送ったそうです。これが二尊院の名の由来。
ただ玄宗も楊貴妃が日本のどこで亡くなったか分からないため二尊は都(京都)の寺院にしばらく保管され、長門で亡くなったことが判明すると名彫刻師が模して彫った二尊が二尊院に届けられたそうです。
何で本物を送らなかったかって、玄宗が二尊を日本に送ったという正式な記録がないから。 (; ・`д・´)←
というか楊貴妃が亡くなったのが756年あたりで二尊院は807年頃に最澄が建てたと言われるので二尊院で楊貴妃が亡くなった可能性はほぼ0だから。 ( ノдノ)←
ただ古くから伝わる古文書はきちんと残されており、それを元に楊貴妃終焉の地として二尊院(周辺)が語り継がれています。二尊自体も撮影不可ですが拝観料払えば見る事が出来ますよ。
チャイナに怒られるで
運命に翻弄された楊貴妃もゆっくりと穏やかに日本で眠っていて欲しい。事実は何であれ、今まで見た世界の著名人の墓の中では見応えのある場所でした。
キリストにモーゼ、徐福、ヨセフ、そして楊貴妃、、
なんか探せば他にも眠ってそうだな。
2019年9月29日訪問
●二尊院
時間:10:00~17:00頃
拝観料:拝観料100円(二尊仏 拝観料200円)
駐車場:あり
参考URL:二尊院 | 二尊院