〇個性:★★★☆☆ 個人が数十年かけて集めた日本の足跡
〇一言紹介:戦時中の資料が多々展示されている個人資料館
気づいたら10月。年取ると日が経つのが早いですね。
ヘルシンを後にして霧島市を北上しようかなぁって走り始めるとほんの3,4分で右にこんな建物が現れました。
ウケる笑
後続車が居なかったのでほぼUターン気味に切り返して車を停めました。
廃墟と判断しても間違いと言えないであろうこの建物、戦史館と書いてあるので戦争関連の施設であろうことが伺えるがいかんせん事前知識のない中でこの類の施設を探索するのは歓喜と不安が入り混じった不思議な気持ちになります。
ごりごりの右翼出てきたらどうしよう
絶対ラーメン出してないやろ
※後から聞いたら一応食堂としても営業しているそうです。2019年7月時点
どこが入口でどこに人がいるのかさっぱりわからん。笑
入口って書いてあるけど絶対ここじゃねぇ。
入場料500円て書いて無ければ強行突破するところですが入場料あるという事は人がいるはずだろうと思ってあっちこっち覗いていたら品のよさげなお婆さんがおりました。
見るからに怪しい薄暗い店内にたたずんでいたので声かけるかどうか悩みましたが、話しかけてみると店舗の外観からは想像もつかない普通に親切な方でした。良かった。
お婆さんの案内で2階へと進みます。
やはり入口と書いてあったところは入り口ではなさそうです。
2階ではお爺さんが戦時中の唄であろう軍歌のようなものを爆音で聞いてました。
あぁ話の通じない人だったらどうしよう・・
と思いましたが普通に親切な方でした。すみません。
(戦時中の生活や教育に関していろいろ説明してくれました。とってもおしゃべり。)
館内は戦時中のクラシックものでいっぱい。ここだけ時が止まっているような感じがしました。学校で児童が勉強時に使っていた筆とか黒電話とか軍服・・etc
一つ印象的だったのが戦艦の形をした鉄の文鎮ですね。
戦争後期、鉄や石油などの資源が圧倒的に不足して大仏ですら軍に回収されていた時代に鉄の文鎮なんて使ってて良かったんですか?って聞いてみたら『教育がまず第一だから良かったんだ』って。
地域差があるのかもしれませんが学校で習った歴史が全てではないようです。
弾薬入れ
実際の軍服を着たマネキン
道路から見えてた怪しげな建物の屋根が見えました。
戦時中の日本人てどうしても好戦的な印象で歴史が捏造されてますけど、戦史館のおじいさんはとても穏やかでもう二度と戦争はこりごりだって言ってました。
そりゃそうだよなぁ何もしてないのに攻撃されるんだからなぁ
興味深く館内見て回ってると特別に別館も見せてくれる事になりました。
裏口を出て
荒れ気味な坂道をゆく
べ、別館・・?
こちらの別館には館長であるお爺さんが数十年かけて中四国まで回って集めた軍人さんの遺品が納められているとの事です。
時には鳥取県まで車を飛ばして四国に寄って帰ってきたそうです。遺品なのでそう簡単に遺族も渡してくれるものではないはずですね。長年説得してようやくお借りできたものもあるそうです。
重い扉を開けて中に入ります。
遺品と聞くと少し及び腰になりますがしっかりと見てきました。
さび付いた日本刀や銃身、時には破れた軍服に軍人が書いたであろうメモ書きが整然と並んでました。
確か集めるのに50年くらいかかったそうです。
那須にも戦争博物館があって同じくらいの年月をかけて館長が展示品を集めていたのを思い出しました。ただ敗戦したという事実だけではなくてしっかりと”あの時”の記憶を後世に伝えたい気持ちが伝わってきます。
こちらは館長手作りのゼロ戦たち。手先の器用さが素晴らしい。
グッと来た。
珍スポット!と思って入った戦史館は色々と考えさせられる施設でした。
豊かな時代に生まれてきて普通に水と食べ物があって、教育が受けられて・・生きられて。先人が築き上げてきた事に対する感謝の気持ちを時折思い出して生きたいと思います。
最後に食堂の方へと案内してもらえました。
薄暗くてめっちゃ怖ぇです。
『安くてうまい元気出ます』
ほんまに安い・・
まぁ先人への感謝とか、ずっと不謹慎だって自粛するのも何ですし楽しむところは楽しんでツッコむところはツッコんでいきたいなって思うので言いますが、、
お爺さんとってもおしゃべり!
10分くらい寄ってみていくかぁって思って入りましたが1時間半以上拘束されました。
最後は食堂でカラオケ大会始まったのでもし良かったら聞いてあげてください。
4曲くらい歌ってました。日本男児いろいろとすげぇ
動画最後の気の抜けた『へぇ~』に私の気持ちが詰まってます。
2019年7月13日訪問
●戦史館
時間:ご飯はランチタイムだけ?
戦史館はご夫婦はいらっしゃれば見せてくれます。
休業日:分からんです。
参考URL:-